タキソール(ブリストル・マイヤーズ スクイブ、主成分 パクリタキセル)は、卵巣がん・肺がん・乳がん・胃がんなどの治療に用いられる抗がん剤です。主成分のパクリタキセルは、細胞分裂に重要な役割を果たす微小管という細胞内器官の機能を止め、がん細胞の細胞分裂を止めるので、がん細胞は増殖できなくなり、抗がん作用が生じます。タキソールは正常細胞の微小管機能にも影響を与えるので、副作用として血液細胞数の減少(骨髄抑制)や末梢神経の感覚障害などが起こります。
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がん細胞は、なんらかの原因により細胞増殖が止まらなくなった状態です。がんの治療では、なんとかして細胞増殖を停止させなくてはいけません。タキソールの主成分であるパクリタキセルは、細胞分裂に欠かすことができない微小管という細胞内器官の働きを止めることで、細胞増殖を止めます。
微小管は細胞の中のいろいろな部品を移動させるための分子です。細胞が分裂する時には、染色体などのさまざまな細胞内器官が決められた場所に移動しなくてはいけません。細胞内器官を移動させる細胞内装置を構成する重要な部品が微小管です。
微小管は、いくつかのタンパク質が結合する(重合)ことで作られ、結合が切れる(脱重合)することで壊されます。細胞分裂がうまくいくには、適切なタイミングで微小管ができたり壊れたりする、つまり重合と脱重合をする必要があります。
パクリタクセルは、微小管タンパクに結合して重合させやすくします。しかし、パクリタキセルが結合した微小管は脱重合を起こしません。こうなると、細胞分裂はとまってしまい、がん細胞は増殖できなくなるのです。これがタキソールの抗癌作用のメカニズムです。
微小管は正常細胞のさまざまな機能に関与するので、タキソールはさまざまな副作用を起こします。なかでも、血液産生細胞である骨髄細胞の機能低下(骨髄抑制)が起こると、血球数が低下してときに致命的な結果をもたらします。また、末梢神経細胞で微小管による栄養分の運搬能力が低下すると、重度の神経障害(しびれや痛み)が起こります。タキソール使用時には注意深く観察を行い、異常が認められた場合には投薬を中止も考慮する必要があります。
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パクリタクセルは、1966年、多くの天然物質のなかから抗がん作用を持つ化合物を探す中で、太平洋イチイ(学名Taxus brevifolia)という木の皮から発見されました。パクリタキセルは、非常に高い抗がん活性を持っていたため、抗がん剤としての実用化研究が始まりました。
しかし、実用化研究では大きな問題点がありました。太平洋イチイの木の皮のには、ごく微量のパクリタキセルしか含まれていなかったのです。動物実験に用いる量の化合物を得るには、樹齢200年の木が何本も必要でした。つまり、ヒトに投与できるだけの薬剤を太平洋イチイから生産するのは、物理的にほぼ不可能だったのです。
この問題を解決するために2つの手段が取られました。
パクリタキセルの化学構造は非常に複雑なので、有機合成化学の手法を用いた合成法を見つけるには長い時間がかかりました。多くの有機化学者の奮闘努力の結果、ついに合成法は見つかりました。しかし、この合成法では何十種類もの合成反応を行わねばならず、しかも最終的に得られるパクリタキセルの量はやはり微量でした。これでは問題は解決したとは言えません。
パクリタキセルに似た化合物を自然界から探しだし、その化合物から合成することで合成反応の数を減らそうというアイデアです。太平洋イチイと似た植物を丹念に調べた結果、ヨーロッパイチイ(学名 Taxus baccata)の葉や小枝から、10-デアセチルバッカチンIIIという化合物が見つかりました。
この化合物のよいところは、葉に含まれるということです。木の皮から化合物を得る場合は、皮をむくことで木は枯れてしまい、それ以上木の皮を得ることはできません。しかし、葉はどれだけとっても再び生えてくるので、何回でも同じ木から採取できます。
2番目の方法を用いてパクリタキセルが入手可能になったことから、大量合成された化合物を用いた臨床試験が行われ、がん患者での抗がん作用が確認されました。そして、1992年、タキソールという名前で発売されたのです。
自然の中には薬のタネになる化合物がたくさん存在します。人間が何十年もかけてやっと作り出す化合物を、自然は細胞の中であっという間に作ってしまうのです。自然の力には見習うところがたくさんあるのだと思います。
[この記事を書いた人]
薬作り職人
国内企業の医薬事業の企画部門に所属。入社後、生物系研究員として、化合物探索、薬理評価、安全性評価に携わりました。企画部門転属後は、研究員時代の経験と専門知識を活かし、各種創薬プログラムの企画運営に携わっています。薬剤師免許保有。
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